全国のいろいろな場所で流域研究、地域研究、がなされてきて、その蓄積数は相当数にのもぼるものと考えられる。しかし、相互に比較した事例はほとんどないのではないだろうか。流域には個性があって、流域ごとの事例研究に尽きるという考え方が暗に支配的である。しかし、このままだと、永遠に事例研究を続けていき、いつまでたっても普遍化されることがないのではないだろうかという危惧を抱く。普遍的な解なんか存在しないというのもまた聞こえてきそうな反論であり、もっともだと思う面もある反面、釈然としないもやもやも残る。このもやもやが何かということを考えると、いくつかの理由が考えられる。ひとつは、学問的には、普遍性を求めてこそ学問である、という点である。またひとつは、何らかの形で普遍化をしない限り、不測の事態や、将来の起こりうる事態に対して対応できないのではないか、という点である。さらには、対象を理解するときの理解の形式として、そもそも開放系である流域や地域をまるで閉鎖系のように取り扱うことにも問題があるように感じる。
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